・対話の会に参加して1年になりますが、小さな子どもがいるので、半分も関われていないのですが、それでも1年たって、自分自身も夫婦の関係も成長できたように思います。対話の時間は他の人の話をとおして、自分の気持ちや感じていることにとことん向き合える貴重な時間です。人の話、自分の声を聞く力を少しずつ養うことができました。ふだんの生活にもそのいい影響がでてきていて、とてもありがたい気持ちでいっぱいです。安心して話せる場所があると、人は自分の心の整理ができて前を向くことができるんだと思いました。
・行政に対する怒りや、先のみえない生活への不安の感情だけが私を支配していた中、同じ部落の友人からの誘いで『までいな対話の会』に参加しました。
喪失した悲しみや怒りを真っ向から受け止めてもらえた場所、初めて出会った安心して話せる場所というのが参加当初の感想でした。
対話で出会った様々な立ち位置の仲間達やゲストの方々と会を重ねていく中で、しだいに怒りから解放されていく自分を感じました。正しいと思っていた自分に対する疑問符を提示してくれた場所でもありました。
モヤモヤしたりする事もたまにありますが、暗闇の中に光る小さな小さな遠い光を一点にみつめて進んでいる若い仲間たちに勇気をもらっています。
現在は『常に考えることを放棄させてくれない場所』になっているかな。
私にとって、までいな対話の会は『心の活動拠点』であり、『村民一人一人が持っている力を取り戻す』きっかけを与えてくれる場だと思っています。
村民みんなが気軽に荷物を降ろしに来てくれる場に育つといいな。
・対話の会に参加して一番関心したことは、互いの立場を考えるということです。震災以降、さまざまな場所で話をする機会が設けられていますが、一方的であったり、理解が深まらないままということが非常に多いと思われます。そうしたことが誤解や分断に繋がっていると考えられます。なかなか大勢の前で自分の話をするというのは緊張して難しいことですが、対話の会では、全員が話を真剣に聞きます。さらにそこから深めていきます。これだけ丁寧に話をする、聞くという場はなかなかなないのではないかと思います。
一度、国、村、住民という立場になってのロールプレイングをする機会がありました。村民は村民の立場でしか考えることはありませんが、たとえ仮想だとしても国側はどういう考えをしているのかということを考えてみると違う角度で物事が見えてくることがあるというのを実感させられました。
飯舘村の若者が集まって丁寧に真剣に話をしている。本当に素晴らしいことだと思います。